PROFILE

20代の頃の私は、とても疲れやすく食べても太らず眠りも浅くて、風邪を引いただけで足に紫斑が出てしまうこともあるほどでした。心の奥はいつも深い沼の底に沈んでいるようで、水面すら見えない。いくつか病院へも行ったのですが検査では不調の原因が見つからず苦しい日々。そして、この心身の不調を何とかしたいとたどり着いたのが気功との出会いでした。

気功の施術を受けているうちに体調も戻り、次第に学びたいと思い気功教室に通い出したのが2000年の頃。そして、Angelたちの存在がとても気になり、本を読んだりオラクルカードを手にして彼らとコンタクトを取り始めたのもこの頃からでした。


その後、勤めていた会社を退職したときに就職ではなく、なぜか気功ヒーリングサロンを開きたいとの思いが湧いてきて2004年にサロンを開業することとなりました。

そこでは、気功外気療法という気功マッサージと天使たちからのメッセージをお伝えするエンジェルリーディングをしていました。

そんなとき、とあるセミナーで仲良くなった友人から「Angel繋がりでおもしろいおじ様がいるんだけど会ってみない?」と紹介されれたのがぱぱ天使との出会いでした。

当時はまだクライアントのところへ来てくれていたのですが、やってきたのはスーツを着た優しそうなおじ様でした(笑)。

そしてこの出会いは、その後の私に大きな影響を与えていくこととなります。



ぱぱ天使とのエピソード



残念ながらサロンはどうしても軌道に乗ることができず、約4年後に閉めることとなりました。そしてこの時、もうヒーラーをすることはないだろうなと思っていたのです。


その後は会社勤めをしていましたが、ジュエリー作りに興味を持ち、自分の好きな石やデザインで作る楽しさにハマりました。本当に欲しいジュエリーは自分で作るしかないですもの。

ヒーラーとしての道は終わったけれど、自分のエネルギーを乗せたジュエリーたちをこの世に生み出せばいいじゃないかという思いから、勤め帰りや休日にジュエリー作りの技術を上達させるべく次々と作品を作るようになりました。美しい物をこの世に生み出す喜びは感動でもあります。


2012年にぱぱ天使と愛犬が相次いで旅立ち、私をここにとどめておく者がいなくなり那須への移住を考え始めます。那須に住んで静かにジュエリーを作りながら暮らそう…

数年後、計画を実行するために勤めも辞めて車の免許も取ったのですが、なんと移住計画がとん挫!

残念ながら移住はなりませんでしたが、ジュエリー作りへの情熱は消えず現在に至ります。




今でも思い出すぱぱ天使のセッションでの会話があります。

深い暗闇に落ちてしまい辛くてどうしようもなかったとき、もうこの世にいたくないとぱぱ天使に言ったのです。



『それはダメだよ。だってね、もうこれから先micaちゃんが癒す人は決まっているんだよ。その人たちが困ってしまうよ』



その時はすでにサロンも閉めていたし、なぜそんなことを言うのか理解できませんでした。それに、この世の中にはたくさんのヒーラーと言われる人がいるんだもの、私でなくても大丈夫でしょって。

それでもぱぱ天使は「micaちゃんでないとだめなんだよ」と真っすぐ私の目を見つめて言ったのです。



そして昨年、林さんから伝えられたぱぱ天使からのメッセージは


『その時がきました。ジュエリーとヒーラーの両方をやりなさい』


でも、どうやって?何をすればいいの???具体的なアイデアが浮かぶことなく時間は過ぎていきました。


コロナ禍で引きこもり生活をする中、これから先どうすべきかと悩む私に友人が言ったのです「あたなたの力を使うときがきたのよ」。すると次々と友人たちが私を励まし応援してくれたのです。


もうヒーラーをすることはないと思っていたのですが、まるで何かに後押しされるように電話セッションを始めてみようという想いが湧き上がってきました。


ぱぱ天使が褒めてくれた私の力は本当はどんなものなのだろう、最後のセッションのときに私の手を強く握りながら「ぱぱとmicaちゃんは一心同体だからね!」と何度も言ってくれた意味…今の私にはまだはわからないのです。でも、皆さまとお話をさせていただくことによって、その答えがやってくる…今はそう感じているのです。